12月17日の尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による待降節3週目の説教。聖書箇所はマタイによる福音書第2章1〜12節で、テーマは「注意深く生きる」。
息子の幼児園では毎年クリスマスの時期になると、聖誕劇(イエス降誕の劇)が子どもたちによって演じられた。息子は東方の3人の博士のひとり、『もつ薬』を捧げた役であったが、これはまさに聖書のこの箇所に記された場面である。
東方から来たというこの博士たちは、ペルシャやバビロニアあたりからエルサレムまではるばる旅をして来たと言われている。そうだとしたら、そこはかつてユダヤの民が捕囚として捕らえられ、連れて行かれたところ。そのため、かつてユダヤ人とも接触のあったその地方の人々は、旧約聖書に伝えられたメシア預言(救い主 降臨の預言)を知っていたとも考えられる。先祖伝来、やがて来たるメシアについて聞かされていたのではないだろうか。
それにしても、博士たちが星に導かれてエルサレムまでやって来たとは何とも不思議な話しに思える。夜空に輝く星を救い主の誕生と結びつけ、エルサレムまでやって来たとは!しかし、これは考えようによっては、それほど不思議ではないのかもしれない。神は生きておられ、全てを支配しておられると信じるならば、そんなに不思議なことではない。この世界と日常生活のあらゆる物事を通して、神は人に語りかけようとしておられるのだから。
17世紀の修道士であったブラザー・ローレンスは、元々は、兵士であった。しかし、若い頃に大けがをして、傷心でいた。ある冬の日、葉を落とした樹木を見つめつつ、思を巡らしていた。「この見るかげもない一本の木がやがて春が来ると、芽が出て、花が咲き、実を結ぶ。」このことに思い至ったとき、いと高き神の摂理と力とが深く魂に刻み込まれたという。そうだ、自分にはまだ希望があるのだと、悟ったのだ。(ブラザー・ローレンス「敬虔な生涯」)このように神は自然界の現象や思わぬ事柄を通して、声ならぬ声で私たちに語りかけてくださる。
神は夜空に輝く星によって、東方の博士たちにキリストの降誕を告げ知らせてくださった。また、冬の枯れ木によって、ブラザー・ローレンスに慰めを与えられた。同じように、神は時として私たちにも『意外な場所』で、『思いもしないやり方』で語ってくださるのではないだろうか。細きかすかな御声によって…。私たちはその語りかけを受け取り損ねることのないように、日々の生活を注意深く歩みたい。