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2017年06月06日

エリヤも人間です

    エリヤはわたしたちと同じ人間であったが、
   雨が降らないようにと祈りをささげたところ、
   三年六ケ月のあいだ、地上に雨がふらなかった。
            (ヤコブの手紙五・一七)

 結果が早いか遅いかさえ問わなければ、いまだかって、雨乞いの
祈りで聞かれなかった祈りはありません。地域の差はありますが、
大体は雨期や乾期のサイクルがあって、ときにこのサイクルが少し
狂ってなかなか降らない日が続いたとしても、みんなが困り果てて
祈ろうかと、言い出す頃はそろそろ降り出す条件が満たされてくる
頃なのです。
 こざかしい呪術師が無知な民衆のこころを、このような自然現象
をうまく利用して収らんしたこともあるくらいです。
 ところが、雨乞いならぬ、「雨止めの祈り」はあまり聞いたこと
がありません。テルテル坊主などの、こどもの願いを別にすれば、
だいたい祈る必要もあまりないのです。いくら気まぐれな気象現象
とは言え、雨期にでも祈ったら、ただちにインチキがバレてしまう
でしょう。
 予言者エリヤはだれも祈らないこの「雨止めの祈り」をささげて
その顕著な効果を現させていただいためずらしい人間です。ヤコブ
の手紙で、「義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものであ
る」と、彼を力ある祈りをした代表的な人間として紹介しておりま
すが、あの特異な祈りが印象深かったのかも知れません。
 それからもう一つ忘れてはならないことがあります。彼の祈りは
結果としてアハブの悪政に干ばつと言う神の裁きをもたらしたわけ
ですが、同時に彼自身もこの干ばつと言う同じ状況下で生きること
の困難を強いられていたのです。神の助けがなかったら彼の逃亡生
活は続かなかったかも知れません。
 さて、ヤコブが紹介するエリヤに関する言葉の中で、わたしが特
に注意を促されることは「エリヤは、わたしたちと同じ人間であっ
た」と言うところです。この当たりまえのことがことさら表現され
たのは、エリヤが祈りのヒーローとしてクローズアップされるあま
り、祈りがだれにでも普遍的に与えられている神の祝福に与る手段
であることを忘れないようにと配慮されたのかも知れません。
 多分それもありましょう。しかし、著者はエリヤの弱い人間性を
わたしたちに想起させることによって、祈りに対する自信をわたし
たちに与えようとされている面も見逃してはならないでしょう。
 この手紙の読者は、わたしたち以上にエリヤの生涯を詳しく知っ
ておりました。カルメル山でバアルの予言者、四百五十人を相手に
たった一人で勇ましく祈り競って勝利をおさめたその勇姿も、それ
から悪魔のような残忍な王妃イゼベルに指名手配をされて、ひとり
荒野をさまよいつつ、神さまに死を求めて祈っている彼の惨めな姿
もよく知っておりました。
 人はだれでも有頂天になるような時ばかりではありません。失意
のドン底に落ち込むようなときもあります。だからこそ、彼もわた
したちと同じ人間だったのです。その彼にしてできた祈りを、わた
したちに出来ないことがありますか、わたしたちにも力ある祈りが
できますよと、ヤコブは言っているようです。
 「困ったときの神頼み」でもいいではありませんか。神さまの出
る幕は人間がギブアップした時なのですから。わたしなどは困った
とき反射的に祈りが出てこないのです。どうしょうか、ああでもな
い、こうでもないとさんざん思い煩ったあげく、ああそうだ祈るん
だったと。まだまだ未熟で情けない始末です。それでも祈ることを
思い起こさせてもらえただけでも憐れみです。そのうち、きっと事
に臨んで反射的に祈れる習性が身につくと信じております。
 全能の神さまを頂いている人間が、その神さまの御手を動かしま
つるお祈りをしないなんて、これほど勿体ない話はありません。
 もしかしたら神さまの方がわたしたちの窮状をご存じで、どうし
て素直に祈り求めて来ないのかと焦って待っていらっしゃるかも知
れません。
 祈りの壇が崩れておりましたら早いうちに繕いましょう。
posted by take at 14:57| Comment(0) | 礼拝メッセージ
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