リンク集

2024年07月28日

ヨハネによる福音書第19章25〜27節「あなたの子です。あなたの母です」

2月25日の尾久キリスト教会における広瀬邦彦先生の説教。ヨハネによる福音書第19章25〜27節より、説教題は「あなたの子です。あなたの母です」。十字架上の7つのことばの3つ目。十字架には公開処刑という意味合いがあった。その残酷な光景を近くで見守っていた母マリアは一体どのような思いだったのだろう。このマリアの悲しみをさえイエスは十字架上で引き受けられたに違いない。
ここでイエスは二つのことばを語られている。一つはマリアに「これは(ヨハネは)あなたの子です」、もう一つはヨハネに「これは(マリアは)あなたの母です」と。マリアの夫ヨセフは既に亡くなっており、イエスは残された母を弟子のヨハネに託された。ヨハネはマリアを自分の家に引き取った。ヨハネが一方的にマリアを保護していたのかと言えば、必ずしもそうではないだろう。弟子の中でも最も若かったと言われるヨハネにとって、イエスの処刑はことさらにショックだったはず。きっとマリアの存在はヨハネにとっても慰めとなったことだろう。ふたりは本当の親子のようにお互いを支え合ったのではないだろうか。晩年のマリアはヨハネとともに、エペソで暮らしたと言われている。キリストの十字架のもとに新しい家族関係が生まれたのだ。
10年ほど前に奉仕していた教会で「親子の会」を運営していた。近隣の子どもたちとその保護者を招いて、一緒に遊ぶ場を提供した。これに参加したあるお母さんが「教会の皆さんは、親戚づきあいをされているように、仲がいいのですね」と感心していた。教会は神の家族である。十字架の贖いによって、罪ゆるされた私たちは神を天の父と呼び、イエスを長兄として崇め、お互いを兄弟姉妹として仕え合う。神の家族である私たちに、キリストは「新しい戒めを与える」とヨハネ福音書13章34節で言われた。その戒めとは「互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」主がゆるしてくださったように、互いにゆるし合い。主が仕えてくださったように互いに仕え合う。それこそが神の家族としての教会の姿である。
 さて、聖書によると、イエスは聖霊によってマリアより生まれ、大工ヨセフの息子として成長された。その家庭生活がどのようなものであったか、ほとんど語られていない。しかしルカ福音書第2章後半にはイエスの少年時代に関する叙述がある。そこでは『イエスはヨセフとマリアに仕えた』とある。30歳になってからは、公の宣教活動を始められたが、その間にも、ご自分の母や弟や妹たちのことを覚えておられたにちがいない。そうして、最後にはご自分がこの世を去った後の母マリアのことを配慮され、ヨハネに母を託された。私たちはこのようなイエスの姿に従うようにと招かれている。
わが家にはカッティングボード(小さなまな板)がある。そこには「台所の祈り」が書かれている。『主よ、私の小さな台所を祝福してください。お料理をするときも、お皿を洗っているときも、私の心をいつも喜びで満たし続けてください。あなたの祝福を、私の家族みなでいただくことができますように。そして、あなたが再びおいでになるときの心備えができますように。アーメン』 
家庭の主婦が家族を想いつつ喜びをもって家事をすることができるようにと。そんなお祈りだろうか。(もちろん、家事をするのは妻だけとは限らない)。私たちが毎日の平凡な暮らしの中で家族を愛し、家族に仕えること。これもまた、キリストに従う歩みの大切な一部分であることを私たちは覚えたいと思う。

posted by take at 00:42| Comment(0) | 説教