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2024年06月19日

神の愛は自業自得を乗り越える

1/21 の尾久キリスト教会での広瀬邦彦先生の説教。この日の題材は創世記第 14 章 1〜16節。タイトルは「神の愛は自業自得を乗り越える」。自業自得とはもともと仏教用語で「自分の行為の結果を自分が得る」という意味だが、否定的なニュアンスで使われる場合がほとんど。
創世記第 14 章は諸王の名が入り乱れる箇所だが、当時の状況から解説すると言わば『 東軍 vs.西軍』の戦いと言える。かたや東軍はメソポタミア連合軍、一方の西軍はソドム・ゴモラ方面軍。この戦いに、前章でアブラハムと道を分かったロトが、東軍から掠奪捕縛されるという災難に巻き込まれる。しかし叔父であるアブラハムが危険を顧みずに救出してくれた。
思えば前章で道を分かつ際、年長者であったアブラハムが寛大にも年若きロトに目的地を先に選ぶ権利を譲った。ロトが自分たちの生活の場として選んだのはソドムの肥沃な地。ロトは遠慮会釈なしに自分たちの生活のために良く栄えた低地を選び、アブラハムはそれに甘んじた。そんなロトが今や自らの選択のため、危機的な状況に陥っている。まさに、自業自得!にもかかわらず、アブラハムは命の危険を冒してまでロトとその一族を救い出したのだ。私たちはこのようなアブラハムの自己犠牲的な姿に、キリストの愛を感じる。それは、自業自得を乗り越えた大いなる愛である。ロトは神のあわれみによって、命を救われ、危機的状況を脱することができた。その後、彼の生き方は変わったのだろうか?私たちにはわからない。しかし、命を救われた者は、神への感謝をもって、新たな人生へと導かれる。
先日の祈祷会にてオンラインで公開された石川県輪島市にある某教会の礼拝説教を皆で聴いた。今年の元旦、能登半島地震の被害に遭われた教会である。牧師の A 先生は、震災後の状況を語られた。家族と無事を喜び合って、お互いを抱擁し合ったという。そしてマタイ福音書 6 章 25 節を引用しつつ、生かされていることの幸いを力強く語られた。この時点では未だ上下水道は使えず、コロナやインフルエンザの流行が心配される状況であった。それでも「不謹慎な言い方かもしれないが、私は今、幸せです」と語られた。「今この街には、お互いを労り合う空気が満ち満ちています。自分のことよりも人のことを優先する。そんな新しい常識がこの街では息づいています。救援に来てくれた自衛隊や警官の方々に ありがとうございます』と語りかけると、最敬礼で応えてくれます。これも災害に遭ったわれわれに対する神の恵み。それに応えて歩いてゆきたい」と。「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」(マタイ 6章25節)。ロトは神のあわれみによって、命辛々に救われた。死んでいてもおかしくなかったのに…。生かされている恵みを知った人は、生き方が変わる。変わるように招かれている。キリストにより罪と滅びから救われた私たちも神の無償の愛に応える歩みをしていきたい。
posted by take at 17:45| Comment(0) | 説教