尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生の12/24説教。この日の説教はルカによる福音書第2章1〜14節から、説教題は「飼い葉桶の中の救い主」。
イエスの降誕は2000年以上前の人目につかない場所でのこと。「飼い葉桶」ということばが聖書に出てくることから「馬小屋で生まれた」と言われることがある。しかしその頃の馬は軍隊に用いられたり、高貴な人たちの乗り物であったようで、一般的ではなかった。イエスの生まれた場所は、ロバや羊が飼われた家畜小屋であったと思われる。小屋と言っても洞窟のようなところで、動物の匂いに満ちた空間であった。神の御子がなぜそのような場所で産声を上げなければならなかったのか。神の御子なら神の御子らしく、王の宮殿や大金持ちのお屋敷で生まれてもよさそうなものなのに…。
実は、その頃、人口登録のため、人々は各自、出身地に帰るようにというお達しが下されていた。そのため、ヨセフも産気づいていた妻マリアを連れて、ナザレからベツレヘムに旅をしなければならなかった。ところが、人々が一斉に移動したためか、町に入っても、宿はどこも一杯。この若き夫婦に部屋を提供してくれる家はなかったようだ。ようやく、ふたりはある家主のお情けによって、家畜小屋のような所に泊めてもらえたというわけだ。
もう何年も前になるが、クリスマスの時期、さる年配の女性牧師が教会学校の子どもたちにこんなお話をされたことを思い出す。「もしもイエスさまが宮殿や立派なお屋敷で産まれたら、貧しい人や身分の低い人はお祝いに行くことができなかったでしょう。だけど、家畜小屋なら誰でも、どんな人でも訪ねることができます。どんなに貧しくても身分が低くても家畜小屋なら行けるのです」と。子どもたちといっしょに聞いたこの年配牧師の言葉が今でも忘れられない。
神のみ使いが、最初にキリストの降臨を告げ知らせた相手は羊飼いたち。この頃の羊飼いという仕事は、今で言う3K(きつい、汚い、危険)。決して人々が憧れるような職業ではなかった。それでも、社会においてはなくてはならない必要な仕事。誰かがやらなければならなかった。つまり、羊飼いたちは社会の片隅で苦労しながら生きていた人たち。そんな彼らに救い主の降誕は真っ先に知らされたのだ。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである」とみ使いは羊飼いたちに告げ知らせた(10〜11節)。救い主キリストは「あなたがたのためにお生まれになった」と。
羊飼いのように社会の片隅で苦労している人、人々から見捨てられた人、あまり注目されることない人。そして、人生の悲しみや苦しみを知っている人。そういう人のために、今からおよそ2000年前、神の御子キリストは来てくださった。飼い葉桶に寝ている乳飲み子が「あなたがたへのしるしである」と天使は言う。何のしるし?神はあなたを見捨てない、どんな人でも神の愛からもれてはいないという『しるし』である。