11月5日の尾久キリスト教会の牧師である広瀬邦彦先生の説教。聖書箇所は創世記第12章1〜9節。テーマは「あなたも私も祝福の基(もとい)」。
創世記の第11章までは神の全人類に対する取り扱いが記されている。しかし、第12章からはアブラハムとその子孫に焦点が当てられている。アブラハムという人物について、聖書はその出生について多くを語っていない。12章で突如登場するアブラハムに神は「あなたは生まれた地と親族、父の家を離れ 私が示す地に行きなさい」と言われる(1節)。つまり、旅立ちなさいと。そして、この命令には「私はあなたを祝福する」という約束が伴う。さらに、これは、アブラハムが祝福されるだけではなく、アブラハムとその子孫によって、世界中の人々が祝福されるという約束である。つまり、アブラハムの子孫であるイスラエル民族によって、あらゆる国のあらゆる民が神の祝福にあずかるということ。
早速アブラハムはハランからカナンの地に向かう。今、ハマスとの紛争が生じているガザ地区に近いエリア。(現在のイスラエルについてどう考えるかは、クリスチャンの間でも意見が分かれているが、私たちとしては、かの国と周辺諸国との平和のために祈るばかりである。)いずれにしても、旧約聖書において神はイスラエルに「世界の祝福の基(もとい)になる」という使命を与えられた。
「アブラハムのこども」という童謡は有名であるが、英語の原曲は歌詞の内容が日本語版とやや異なる。原曲をそのまま日本語に訳すと、「私もあなたもアブラハムの子ども」と歌われていることがわかる。これには聖書的な根拠がある。というのは、新約聖書の「ガラテヤの信徒への手紙」第3章29節には「あなたがたがキリストのものであるなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です」とある。イエスを信じ、「キリストのもの」とされた私たちはアブラハムの子孫である。たとえ肉体的にはアブラハムの血筋でなくとも、霊的な意味で私たちクリスチャンはアブラハムの子どもである。そうであれば、私たちも、キリストのゆえに「祝福の基」とされている。あなたや私によって、神は私たちの身近な人々を祝福してくださる。そして、祝福とは、神があなたの存在を喜んでくださるということ、あなたに良くしてくださるということである。
過日に103歳になる教会員を妻が訪問した。僅かな時間で辞去するつもりだったが、大変お元気で1時間お話しできた。むしろこちらが元気をもらったくらい。歳を重ねるということに関しては、上智大学学長であったヘルマン・ホイヴェルス神父によって紹介された「最上のわざ」という詩がある。ここに描かれた生き方こそ、「祝福の基」としての私たちの姿ではないだろうか。たとえ私たちの肉体が衰えたとしても、神の恵みとあわれみに頼りつつ、感謝をもって毎日を過ごすなら、私たちはいつの間にか祝福の基となっている。神はいつの間にか私たちによって、ご自身の祝福をまわりの人に届けてくださるに違いない。
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