旧約聖書詩篇第27篇1〜10節「信仰と怖れの間で」。この日取り上げた箇所は、ダビデ王の神への祈り。第6節までと、それ以降では明らかに雰囲気が変わっている。「別文ではないか?」との説もあるほど。前半でダビデは神の守りと勝利を確信して、先取りの感謝をささげている。一方、後半では自分の命をつけ狙う敵の存在に恐れや不安を抱きつつ必死に神の憐れみを求めている。このように、人の心とはアンビバレンツなもの。勝利を確信するダビデも、不安におののくダビデも、どちらも彼の本当の姿であろう。9節でダビデは「私を置き去りにせず、見捨てないでください」と祈っている。これは私たちの叫びでもある。しかし、新約聖書において、キリストはこのような私たちの叫びに答えてくださる。「私は決してあなたを見捨てず、決してあなたを置き去りにはしない」(ヘブライ人への手紙13章5節)と。
以下はトマス・アクィナスという哲学者の「祈りのことば」冒頭である。
私の神よ、私があなたを忘れても
あなたは私を忘れないでください
私があなたを見捨てても
あなたは私を見捨てないでください
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-01-21
信仰と恐れの間で揺らぎやすい私たちであるが、神の約束は変わることなく真実である。このお方は「私は決してあなたを見捨てない」と約束してくださる。
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