リンク集

2023年01月09日

2023年1月

 明けまして、おめでとうございます。
尾久キリスト教会の一年が礼拝とともに始まりました。通常の日曜礼拝は10時半スタートですが、元旦礼拝だけは11時開始になります。牧師先生の説教を通じて新しい年の御言葉をいただき、新たな決意のもとで進んでいくことが感謝です。礼拝後、教会員との交わりを持ちました。皆さんと新年のあいさつを交わし、何気ない世間話に花を咲かしました。滅多に会うことが出来ない人と会えるのも、元旦礼拝の喜びのひとつです。久しぶりに交わす会話も楽しいものでした右向き三角1さて、第二聖日の午後に役員会が開かれました。この時期の役員会は、次の年度の準備で忙しくなります。総会のための資料作り、会計の決算・予算案の作成、行事予定など、ひとつひとつが教会にとって重要事項です。おろそかにできず、自ずと時間がかかってしまいます。8日の役員会も2時間をこえる会になりました。いくつか、事前に連絡した方が良い行事予定を列挙いたします。

 右向き三角12023年度行事計画(注意:変更の可能性あり!)
   正式には教会総会後に、決まります・・・・
   4月 2日 新年度スタート
      9日 イースター
     23日、30日 教会総会@前年度報告 A新年度計画
   5月 7日 墓前礼拝(礼拝後、午後ラザロ霊園で実施)
     28日 ペンテコステ礼拝
   9月17日 召天者記念礼拝(尾久キリスト教会で実施)
   10月15日 特別伝道会(ユーオーディアをお招きしての音楽会の予定)
   12月10日 荒川区民クリスマス
      24日   クリスマス礼拝、午後祝会
  「吹奏楽団ホワイタルのコンサート」や「CDコンサート」なども計画します。

posted by take at 21:56| Comment(0) | 日記

2023年01月07日

高橋武夫牧師先生の著書「イエスさま、ラザロが病んでいますよ」

9FE07D87-398F-4714-8A71-208F69FFD68A.jpeg

発売元は伝道文書販売センター、定価は1,700円です。先生の全114回の礼拝説教のお話が列挙。タイトルのラザロはイエスの友人で、イエスの恩寵で死から甦えっています。購入ご希望の方は教会までご連絡下さい。

posted by take at 17:29| 礼拝メッセージ

2023年01月06日

隠れている基礎

 わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。 (ルカによる福音書6章47〜48節)

 新約聖書の最初の部分に四つの福音書があります。いずれもイエスさまのご生涯を中心に記したものです。よく読むとイエスさまの説教や行いをそれぞれの福音書記者が等しく取り上げているものから、一つの福音書にしか記されていないものなど、また同じ内容のものでもそれぞれの福音書によって表現が微妙に違うものなどいろいろあります。時には、どっちが本当なのだろうかと迷うような記述もあります。聖書を本格的に学ぶと大変おもしろく感じることがあります。冒頭の句はマタイによる福音書7章24節以降にも出ています。ほとんど同じ表現ですが、違う点はルカによる福音書には「地を深く掘り」という一言がありますが、マタイによる福音書にはそれが無いことです。その違いはそれぞれが日頃から見慣れていた生活習慣の違いから来るのかも知れません。わたしたち日本人でも町が城壁で囲まれているのを見ると異様な印象を受けます。しかし、そういう町に住んでいる人からわたしたちの町を見れば、随分と無防備に見えることでしょう。マタイは岩肌があちらこちらに見えるような所にある家を、ふだんから当たり前のように見て生活していたのかも知れません。一方、ルカの方は岩があまり地表には見えないような所で生活していたのかも知れません。ただ、彼は家の基礎の大切なこと、建築上の常識をわきまえていたから、岩がある所まで「地を深く掘り下げ」と書いたのだと思います。いずれにしても、土台や基礎の部分は人目につきにくい部分です。外観や見栄を気にする者と家そのものの堅固さに心を用いる者とはどの部分にお金を沢山かけるか当然違ってくるでしょう。
 最初から砂地と岩地という二通りの立地条件がそこに見えておれば誰でもしっかりとした岩の上に家を建てるでしょう。岩地を選ぶ困難がそこに予想されなければ誰でも好きこのんで不安定な砂地に家を建てる者は居ないはずです。もし、岩地を選ぶ困難が、地価が高いとか、生活に不便とか、少々建築費が割高とか、仮にそのような不都合があっても、お金を惜しんで砂地に建て、天災ですべてを失うよりは、後になって賢い者と言われるほうが良いでしょう。そうしてみるとルカが記すように「地を深く掘り」という一言は大変重みを増してきます。 今日の話なら、基礎部分を深く掘り起こすのにはさほど苦労は無いかも知れませんが、昔の話ですから、それは大変な苦労が伴ったことでしょう。土台が岩か砂かの違いはその上の家の運命を大きく決定いたします。洪水が出て激流がその家に押し寄せてくる危機が必ずあると前提でこの例え話がなされております。多分、そういう自然災害がパレスチナでも結構あったのではないかと想像されます。
 イエスさまは家の基礎の話として語られましたが、当然これは、人間生活のあらゆる局面で普遍的に該当する真理でありまして、わたしたちが平素どのようなものに依存して生きているか、またどのような価値観に立って生きているか、やがて試みされる日が必ず来ると警告しているのです。岩地か砂地かの選択基準はイエスさまの話を聞いて実践するか、聞きっぱなしに終わるかの違いにあると前置きされています。岩地に家を建てるのにそれなりの困難が予想されているのならイエスさまの教えを実践するのに当然いろいろな困難があるということになります。そうでなければ容易にみな実践するのではないでしょうか。マタイによる福音書13章の種まきの譬えの中で、イエスさまは石地に蒔かれた種は芽を出すがすぐに枯れてしまう、と説明しながら、「御言葉のために困難や迫害が起こってくると、すぐつまずいてしまう」と、枯れてしまう理由を述べています。
 わたしたちの堅実な人生設計のためにイエスさまの教えを守り、実践することは時に自分との戦い、時に周囲との軋轢を経験することも覚悟しなければならないものです。

posted by take at 14:00| Comment(0) | 礼拝メッセージ